<経歴>
1943年、千葉県生まれ、千葉県我孫子市在住。
詩集『流亡記』、『ラビリンスの雨』、『風土記』、『ひぐらし三重奏』、『絵馬』、『そして千年樹になれ』。
日本現代詩人会、千葉県詩人クラブ、会員。
「コールサック」に寄稿。
<詩作品>
飛
とんでもはっぷん50ぷん
ふんだりけったりの朝
そんなお目覚めでしたら
いっそ
菜の花で乗りかえ
たんぽぽにでも座って
ふんわり飛んでいきましょうか
唱
『祭』のうちわを腰に差し
気どったニワトリの歩き方で
じいさまが
夏の広場をジグザグにいく
人生 いつも踊っていたいものよ
いつでもどこでも 祭となるように
ね
はいはいはいはいはいはいはい
死ぬも生きるも おまかせおまかせ
ええじゃないか
老人はふりかえると
片手をあげて
敬礼のまねごとをした
賭
世界は
いつのまにか賭博場になっていた
葉巻をくわえたバクチ打ちたちが
ふるえる指と心臓で
相場と為替を
送信する
地平線は浮いたりまがったりの
つまみ喰い
神の見えざる手 といわれるものは
いま 手袋をしているらしい
共和国
雨は泣いていた
置き去りにされた死体を
濡らしたくないと
輪廻の生がひとたび沈んで
どこかで また転生して咲きだすことを
輪廻転生のおもいを
雨はひそかに願っていた
恐怖はひとを狂わせ
そして残虐にする
なぐられたなら
なぐりかえす
なぐられそうなら
それより先にやっつける
これは教えこまれた牙である
ひとを責めるな
まして裁くな
右の頰を打つ者がいたなら
左の頰をもむけなさい
人間に そのことができるだろうか
ざんざら雨のざんざらめ
ざらめの雨の 雨雨雨
ひとりで生きられるとおもうな
国も個人も
回帰線を越えてくる風たちは
どこの陸地でよみがえっているのか
海はどこまでも手をつないでいて
空はどこにも区切りがない
ざんざら雨のざんざらめ
ざらめの雨の 雨雨雨
ざんざら雨を突っきって
あめ
国家を名のる利己主義が
唐草模様でこびりつく
あちこちの岸辺の橋をふみしめて
あめあめ
編め
世界共和国の
新しい花束
めざめ
冬のおわりの日
ポケットに入れたままの ふたつの樹の実
相馬惣代八幡宮の 椎の実ひと粒
名戸ケ谷法林寺の 銀杏ひと粒
ベランダの植木鉢に 植えてみた
五月 緑の芽が出はじめ
イチョウの葉の形になった
室町 江戸と生きぬいてきてなお
今 を生き続けている樹木のふたつの命を
思いがけなくわたしは
呼びさましてしまった
旅のはじめの馬だまり
消えた街道
つくりなおされる たどり道
いにしえびとの 願いごとや息づかい
そんな華やぎと衰えを
見つめてきたふたつの樹
めざめたぎんなん 何になる
めざめたしいの実 何になる
そんなたわいないことを口ずさみながら
そして千年樹になれ と
声かけしてみる